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がらくた工房すきっぷが実際に行った被災地支援の活動をご報告します。パフォーマンスの模様と共に、現在の被災地の状況をレポートします。 |
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「いちばん星フェスタ in 南相馬」へ今年もお声をかけていただき、今年も東北まで被災地支援活動に言ってきました。
いちばん星フェスタが開催される2日前より福島県いわき市を訪問して、台風19号の災害ボランティアにも参加してまいりました。2019年10月12日〜13日にかけて日本に上陸した台風19号は、いわき市に流れる3つの川を越水および決壊させ家屋の床上まで浸水させました。
1ヶ月たっても手付かずの地域もあり、今回のボランティアでは災害ごみの分別や畳上げ、泥のかき出しなどを行ってきました。1日平均80人程のボランティアが全国から集まり、支援の輪が広がっていますが、まだまだ先は長そうです。
いわき市から南相馬市に移動をする際、国道6号線を北上し大熊町・双葉町を通って現在の状況を確認してきました。帰宅困難地域には今も誰も住んでおらず、除染および復旧作業をしている業者の方がその地域で活動をしていました。
国道沿いの店舗や住居の入り口には全てバリケードが張られており、家主ですら進入できません。国道6号線からは福島第1原発が見えましたが、原発誘致で恩恵を受けた地域も今では誰も住んでいません。
帰宅困難地域を一歩抜けると生活観が感じられる電気が灯り始めますが、沿道沿いの結婚式場やスーパーだったであろう建物は、今では業者の仮設本部となっているところがほとんどでした。南相馬市内でも太平洋まで地平線となっているような何もない台地が広がり、何百世帯の集落があったのが窺い知れます。その荒野を再利用すべくソーラーパネルが延々と設置されていました。
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「いちばん星フェスタ in 南相馬」へ今年もお声をかけていただき、バロンは4回目、バンジュは2回目の訪問となりました。南相馬市には被災地という陰が薄いように見えますが、以前ほどの人口回復にはまだまだほど遠いそうです。
スケジュールの関係上、浪江町や二葉町には立ち寄れませんでしたが、帰宅困難地域は縮小されているようです。見た目には被災地という光景は少なくなりましたが、街外れには集落ごと人気を感じない地域がまだあり、街の復興は戻りつつあるものの人が帰ってこないのが現状のようです。
南相馬市から福島市までレンタカーで移動しましたが、いまだに休耕田らしき場所には汚染処理された廃土が行き先もなく詰まれていました。
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「いちばん星フェスタ in 南相馬」へ2年ぶりに出演しました。復興支援活動として何度も東北に足を運びましたが、3度もお声がけをしていただいたこちらのイベントでは南相馬市の復興と自立の熱波が感じられました。
2年前にイベントで訪問した時の南相馬市小高地区は居住許可が出ておらず、駅も街も信号も時が止まっていました。しかし、今回の訪問では徐々に人が戻って来ていました。でも、まだまだ完全な復興には至っていません。浪江町にも訪問したかったのですが、未だに通行規制がある箇所もあり訪問を断念しました。
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NPO法人いちばん星プロジェクト主催の「いちばん星フェスタ」と、共同開催された「南相馬市小高地区復興秋祭り」に呼んで頂き、福島県南相馬市で支援パフォーマンスをして参りました。
「宮城県南三陸町」
南相馬でのイベントの前日に宮城県南三陸町に足を運びました。復興の象徴として今も残されている防災対策庁舎には、平日にもかかわらず多くの慰問ツアーのバスが手を合わせに訪れていました。周囲のがれきはほとんどと言っていいほどなく道も整備されていましたが、住居建設までにはまだまだ年月がかかりそうです。
「福島県南相馬市」
今回イベント要請のあった南相馬市小高地区は東電から20キロ県内の避難区域で住む事ができず、車の往来や商店の営業はあるものの洗濯物やあそび声といった生活の光景がありません。JR小高駅も電車が来る事はありません。駅前商店街も地震後のままの状況が残っていました。
「その他」
福島第一原発の横を南北に通る国道6号線が2014年9月15日に全線開通となり、3年半ぶりに自由に行き来する事ができるようになったそうですが、窓を完全に閉め切った自動車のみ通行可でバイク・オープンカー・自転車・歩行者は通れません。 |
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NPO法人いちばん星プロジェクト主催の「いちばん星フェスタ」に呼んで頂き、福島県南相馬市で支援パフォーマンスをして参りました。
南相馬市沿岸も津波で住宅が壊滅的被害を受け、テトラポットが1キロ先まで流され、それが逆に凶器となって被害を大きくしたそうです。近隣の飯館村は住人の姿がほとんど無く、沿線では除染作業が行われていました。地震・津波・放射能の3被害による復興はまだまだ先の事だと感じられました。
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2年前にも参加させて頂いた被災地支援イベント「復興祭」に、今年も参加させて頂きました。
復興祭翌日には、芸人達と陸前高田市内を見に行きました。2年前よりも整地され、陸前高田市役所をはじめ廃屋は全て撤去されていましたが、街としての復興は程遠い気がしました。少し車を走らせ「奇跡の一本松」と宮城県気仙沼市にある「第18共徳丸」も見に行きましたが、お彼岸の3連休でもあり避難先からお参りに戻られた地元の方々が多く手を合わせていました。
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2011年9月に日本列島を襲った台風12号の影響で、豪雨による土石流や河川の氾濫が和歌山県一帯におこりました。被災地にある三輪崎保育園の園長先生が近隣の幼稚園や保育園にも声をかけ、子ども達を元気付ける4園合同イベントを開催しました。今も雨が降ると怯える子ども達だそうですが、たくさんの笑顔に出会う事ができました。
新宮市や那智勝浦町で死者や行方不明者が多数出ました。今も倒壊した家屋が残っており、完全復興までにはまだまだ時間がかかりそうです。
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東日本大震災で被害に遭われた依頼主である校長先生のご主人様が大切にしていたオルゴールを、津波で全壊した自宅跡地から息子さんと一緒に見つけ出し、オルガンの輸入元であるトーアトレーディングさんに修理依頼をしたのがきっかけで、「絆」コンサートが実現しました。仮設住宅の方々もお招きして、ストリートオルガンの音色と共にバロンのパフォーマンスを堪能して頂きました。
山並みの街全体が津波に飲み込まれ、非難した人と共にバイパス部分が流されてしまいました。陸前高田市の市役所には力強く向日葵が咲いていました。
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牡蠣の養殖・水揚げ拠点の宮城県の磯島で行われた被災地支援イベント「復興祭」に依頼要請があり出向しました。
地域周辺は入り江だった事と大小様々な島が周囲にあった事などから大きな津波被害は免れたものの、地震による倒壊がひどかったです。30分ほど車を走らせた東松島市では津波被害の惨状も残っていました。ホテルの方々がおっしゃった「是非見ておいて下さい」という言葉が重く残っています。
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